在日コリアン、おきらいですか?

「在日コリアン、おきらいですか?」というはてなダイアリーを書いていましたが、この度ブログに移行しました。

ある朝鮮部落の現在

新年あけましておめでとうございます。
昨年の紅白歌合戦美輪明宏氏が「ヨイトマケの唄」を歌っていましたね。
年末年始のおめでたい雰囲気に合っているのかどうかはわかりませんが、個人的にはとても好きな歌です。いつだったかは忘れましたが、その昔、サザンオールスターズの桑田さんが歌っていて、子供心に深い衝撃と感銘を受けたのを良く覚えています。




ボクはあの歌を聞くと、在日コリアンの1世・2世のことが心に浮かんできます。


日本の人々がどうお考えになっているのかはわかりませんが、(なんとなく想像はつきますけども(´・ω・`))ボク思うに基本的に在日コリアンは貧乏人が多かったです。
特にボクが住んでいたのは、在日と貧乏を鍋で煮しめたような朝鮮部落でしたので、金銭的に裕福なコリアンはあまり見かけませんでした。
と、いうか羽振りが良くなった人たちは、とっとと他所へ引っ越して行ったようです。


在日3世ともなると、さすがに日々の食べ物に困るような生活を送る人は見当たりませんでしたが、その時代の平均よりはやや貧しい生活がスタンダードだったように思います。
ボクも幼い頃は自分の部屋が無いことに些か不満もありましたし、なかなかファミコンを買ってもらえず肩身の狭い思いを抱いたこともあります。今となっては親の苦労を知らずに不届きなことを考えていたものだと思いますが、まあ、子供ってのはそんなものなのかも知れません。


たまに親世代の世間話に出てくる一世代前の話は、まさに「ヨイトマケの唄」の世界でした。
直接ボクが見たわけではないので話半分で聞かなければならないのでしょうけど、

  • おかずがなかったので、ごはんにたくあん漬けをちぎって乗せ、水をかけて食べてた。
  • 蟻がたかったごはんももったいなくて食べてたけど、なんか酸っぱい味がした。
  • 臨月でも普通に野良仕事をしていて、なんだかお腹が痛いなと思っていたら知らぬ間に出産していた。
  • 近所で瓦の家が建ったらみんなで見に行ってた。(周りはトタン屋根の家ばっかりだったようです。)
  • 汲み取り式の便所に物を落として大変だった。(ボクが大きくなってからも汲み取り式トイレはありましたけどね・・・)

などなど、どうも当時の日本社会よりややワイルドな世界が展開されていたようです。


久々に生まれ故郷を訪ねてみると、当時遊びにいった家々が廃屋となってあちこちに残っていました。
もう人は住んでいないようでしたので、幼少期の思い出にと思わずシャッターを押してしまいました。それがこの写真達です。
「もう年寄りと犬しか住んでいない、いや、最近は犬も減ってきた。」なんて言われるゴーストタウン寸前の町ですが、やはり生まれ育ったところは懐かしいものですね。
またいつか訪ねてみようと思います。