在日コリアン、おきらいですか?

「在日コリアン、おきらいですか?」というはてなダイアリーを書いていましたが、この度ブログに移行しました。

朝鮮学校の思ひ出・弐

朝鮮部落のその真ん中に、高くそびえる悪の城、じゃなかった。朝鮮学校のお話です。

ここでも書いた通り、 ボクはいわゆる「朝鮮部落」のど真ん中で生まれ育ちました。
そのまさに「石を投げれば朝鮮人に当たる」ような濃密な地域社会の一角に、「ウリハッキョ=我々の学校=朝鮮学校」はそびえ立っていました。




今でも田舎の小学校なんかでは、屋上のトコに「みんなであいさつ ○○小学校」とか「オアシス運動 がんばろう」といった標語が書いてある看板・垂れ幕を見ることがあります。
当時の朝鮮学校でも似たような看板を掲げていましたが、その内容は皆さんの想像通り、「偉大なる首領 金日成元帥様 万歳」とか「親愛なる指導者 金正日同志 万歳」といったノリのものが多かったです。
もちろん朝鮮語で書いてありますので、付近住民には大した影響を与えていなかったと思いますが、ちょっと不気味な印象はあったことでしょう。

ずっと以前、悪ふざけと好奇心から、たまたま日本に遊びに来ていた「本物の韓国人」を朝鮮学校に連れて行ったことがあるのですが、この看板を見てすーーーーっっと顔色が変わり、みるみる顔が引きつっていったのをよく憶えています。
当時の韓国は(今も?)徹底した反共産主義教育をしていたので、相当引いてしまったようです。思えば悪いことをしたものです。





さて、朝鮮学校の敷地内に入ってみましょう。
グラウンド・校舎・体育館などなど、一通りのものは揃ってはいますが、校舎はかなり老朽化しており、グラウンドや体育館も狭く日本学校とは比較にならない程貧相なものでした。
机や椅子などの備品も、今にして思えばリサイクル品?だったのかかなりボロく、油断して使うといきなり壊れてしまうものもありました。
もっとも生徒にとってはそれが普通でしたので、別段不満もなく壊れかけた椅子を我流で修理して使うなどして過ごしていましたが、毎年毎年必ず朝礼などで報告される

偉大な首領・金日成元帥様が今年も教育援助費と奨学金朝鮮学校のために送ってくださいました!

のお金は一体どこに使われてるんだろう?と微かに疑問を覚えたりなんかもしたものです。







朝鮮学校の敷地内に一歩でも入ると、そこは原則として「日本語厳禁」、朝鮮語公用語として使われていました。
日本語使っている所を先生に見られると、問答無用で激しく怒られます。冗談みたいですが、ホントです。

が、日本生まれ日本育ちであるボク達の「母国語」はどう考えても日本語なわけで、「今日の宿題やってきた?」とか「そろそろ授業始まるんじゃない?」くらいの会話なら朝鮮語でできますが、話が盛り上がってくるとどうしても日本語が出ます。
「今日発売のジャンプみた?実はピッコロ大魔王ってさぁ・・・」とか
「いやー、ビックリしたよ!とうとうクリリンフリーザに殺さ・・・」とか
こんな話になると、先生の目を盗んで日本語で話すわけです。

もちろん、生徒のポリシーもそれぞれでしたので、先生の言うことを忠実に守る「マジメな女の子」なんかもおりまして、そいつが「帰りの会」で先生にチクッたりするわけですよ。
「先生、○○クンがさっき日本語使ってました!」
で、ボクが怒られると。
まったく女性ってヤツはどうしてこうも・・・




学年が上がって反抗期ともなりますと、この建前上の「日本語禁止」も完全に崩壊し、生徒同士の会話はほぼ日本語。
先生の前でだけ朝鮮語で会話するという「ダブルスタンダード」で過ごすことになります。
先ほどの「マジメな女の子」もこのあたりまで来ると、普通に日本語喋りまくってたりするのです。
かつてチクられた恨みがあるボクとしては、内心「けっ!」と思うこともありましたが、女性を敵にまわすと怖いので何も言えません。



こんな感じの生活をしているので、朝鮮学校卒業者と言えども、その朝鮮語能力はかなり「中途半端」なものです。
読み書きや日常会話くらいならできますが、発音・語彙などとても「本物」には及ばない人が大部分ではないでしょうか。
ボクに関して言えば、大統領演説みたいなキレイな言葉は大体理解できますが、ドラマや映画に出てくる「生きた」言葉は半分くらいの理解度だと思います。「韓国旅行には便利だけれど、ビジネスに使えるレベルではない」くらいかなというのが自己評価です。

朝鮮学校で習った「ウリマル=我々の言葉=朝鮮語」と韓国の言葉は若干違うとはいえ、ある程度韓国語を理解できるようになれたこと、これはとても良かったと思っています。