在日コリアン、おきらいですか?

「在日コリアン、おきらいですか?」というはてなダイアリーを書いていましたが、この度ブログに移行しました。

ビューティー・インサイド

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家具デザイナーのウジンは18歳のときから目覚めると心以外の姿、性別、国籍等の全てが変わるようになってしまった。男、女、老人、子ども、外国人…。人に会う仕事ができないため、才能とインターネットを活かして活躍している。そんな彼の “病気”のことを知っているのは母と親友だけ。ある日、アンティーク家具店で働く美しいイスに出会い、一目で恋に落ちてしまう。

↑を読めば分かる通り、設定としては超トンデモ。
今どきギャグ漫画でもここまで荒唐無稽な設定は厳しいのでは?と思うような突飛なシチュエーションなのですが、それをリアリティある雰囲気に落とし込んで観る者を引き込めるのが映画の力なのでしょう。
観ているうちに「ああ、こういうこともあるかもね」という気持ちで主人公を眺めることができるようになります。


ストーリー展開はあくまで静かでシリアス。
「変身もの」ってことでギャグの一つも入れたくなるのが人情でしょうに、ほぼそういうシーンはありません。
某シーンでの『イケメン→むさ苦しいおっさん(キム・サンホ氏、すまぬ)』変化にはちと笑いましたが、基本的にいろいろと考えさせられる映画だったと思います。


他人には語れぬ、あるいは語ってもわかってもらえぬ悩み苦しみというのは、人間誰しも持っているものでして、ボクも最近ちょっとばかり悩んでいることもあります。
その辺はおいおいここに書いていくかも知れませんが、まあ、どうなることでしょうか。


ともかくも、「毎日姿が変わる」ほどの秘密や悩みを持っている人はそういないでしょうから、この映画をみてそういう気持ちになってみるのも面白い経験なのかも知れません。

近況報告

ふと気づいてみれば、前回ブログ更新をしたのがもう2年半前。
6年前にツイッターを始めてからはそちらをメインに色々つぶやいてましてこちらが疎かになっていましたが、ちと思うところあり再開してみようかなと思っています。

ツイッターは非常にアクティブでレスポンスが早く、あれはあれでとても楽しいものでしたが、ボクのようなプロフィールの人間にはちょっと煩わしいことも多く疲れてしまいまして。

したがってツイッターで書いていたようなしょうもない徒然などを書いてみたり書いて見なかったり、て感じになると思います。

独裁者と小さな孫


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独裁政権が支配する国。
大統領とその家族は、圧政によって国民から搾取した税金で贅沢な暮しをしていた。 彼は多くの罪なき国民を政権維持のために処刑してきた冷酷で無慈悲な男だった。 ある晩、クーデターが勃発し、大統領を除いた妻や娘たちはいち早く国外へ避難する。 だが、大好きな幼なじみのマリアやオモチャと離れたくない幼い孫は大統領と残ることになる。 やがて街では民衆が暴徒化し、大統領への報復を呼び掛ける怒声と銃声が至るところで轟き、 兵士たちは反旗を翻し、独裁政権は完全に崩壊する――。 今や全国民から追われる賞金首となってしまった大統領は、 小さな孫を抱え逃亡を余儀なくされる。 二人は安全な地へ逃れるべく船の待つ海を目指す。

みなさんこんにちは(´・ω・)つ
ここはすっかり「映画レビュー」サイトと化してしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか?
本日の映画は『独裁者と小さな孫』。
最初に題名を見た時には、「ひょっとして、朝鮮民主主義人民共和国金日成および金正恩の話??」とか思ってしまいましたが、全然違いました。
まあ、あの孫はあんま『小さな孫』でもないですしな・・・



普通はストーリー上、敵役として登場することが多い「独裁者」がこの映画の主人公です。
民草の生殺与奪を思うままにしているトップの座からあっという間に下り落ち、奈落のズンドコに叩き落とされるわけですけれども、そこで目にする一般大衆は彼のせいで遥かに大きい辛酸を嘗めているわけですわ。
もう一人の主人公とも言える「小さな孫」の愛らしさと、微かに流れるユーモラスな空気のおかげであまり暗い雰囲気にはなっていませんが、時折挟まってくるエピソードは文字通り「悲惨」の一言。
「独裁者」のあまりに大きな罪が浮き彫りにされていきます。



彼ら二人の逃避行がどういう結末を迎えるのか・・・・
は、ネタバレになるので言えませんけども、なかなか考えさせられるラストであったと思います。
あのラストシーンでもし自分がそこにいたならばどうするだろうか?
もし観ることがありましたら、一考に値する問題だと思いまっせ。

あん


公式サイトはこちら→映画『あん』

縁あってどら焼き屋「どら春」の雇われ店長として単調な日々をこなしていた千太郎(永瀬正敏)。そのお店の常連である中学生のワカナ(内田伽羅)。ある日、その店の求人募集の貼り紙をみて、そこで働くことを懇願する一人の老女、徳江(樹木希林)が現れ、どらやき粒あん作りを任せることに。徳江の作った粒あんはあまりに美味しく、みるみるうちに店は繁盛。しかし心ない噂が、彼らの運命を大きく変えていく…

和菓子大好き、あんこ大好きなボクとしては『題名に惹かれて』ってところも無きにしもあらずでしたが、キャストや予告を観てこれは絶対に行かねば!と密かに気合を入れていた映画です。
で。
実際に観てきたのですが、本当に様々な思いを抱かせてくれる良い映画でした。こういう作品があるから邦画を観るのはやめられないんですわ。
ドラマ『デス・ノート』や『ど根性ガエル』もええんですけど、この映画もどーんと話題になって多くの方の目にとまるといいなと心より思います。
「癩(らい)」、「癩病」いまで言うところのハンセン病に関しては他にも有名な作品(「砂の器」もドラマや映画になってますね)があるものの、現実に患者さん・元患者さんをみる機会はほとんどなく歴史の片隅に埋もれつつあるようにも感じられますが、こういった事も広く後世に伝えるべきではないでしょうか。

こちらに非はないつもりで生きていても


世間の無理解に押しつぶされてしまうことはあります


そうしたことも伝えるべきでした


というセリフが頭を離れません。












それにしても、樹木希林さん。
『本当にこういう経験をしてきた』としか思えないような真に迫る演技で、ドキュメンタリーですと言われても信じてしまいそうなくらいでした。
役者というものはなんとも恐ろしいくらいの迫力を秘めているものですね。
お孫さんとの事実上初共演だったそうですが、娘さんもこれから役者としてやっていくのでしょうか?
ちょっと期待して見守りたいと思います。

国際市場で逢いましょう

朝鮮戦争中、父親と末の妹と生き別れたドクス(ファン・ジョンミン)は、母親と2人のきょうだいと一緒に避難民として釜山で暮らすことに。まだ幼いながらも家長として家族を守ることを心に誓った彼は、自分のことは後回しにしていつも必死に働いてきた。その後、西ドイツの炭鉱で働き、ベトナム戦争に従軍するなど、ドクスは何度も命の危険にさらされる。

みなさん、お久しぶりです(о´∀`о)ノ
3週間ぶりくらいの更新ですが、いかがお過ごしでしょうか?
というわけで、本日はこないだ観てきたこの映画に関してです。



主人公は『どう控えめに見ても偏屈なクソジジイ』以外の何者でもないわけなんですが、彼が幼き日より過ごしてきた悲しくもひたむきな人生を「朝鮮戦争以降の韓国」とオーバーラップさせながら話は進んでいきます。
戦争・家族との離散・貧困・出稼ぎ・不遇・事故・不具とあらゆる困難を受けつつも健気に生きる主人公に思わず涙腺が緩んでしまいましたわ。
日本の映画だったら、主人公は困難を経てもの凄い人格者的な人間になっていくところなんでしょうけど、こちらの場合は『スーパー頑固ジジイ』へと変貌していくところが、韓国映画っぽいといえばぽいなと妙な感心も同時にしつつ、基本的には大感動の映画でした。



自分の無知を晒すようで恐縮ですけど、かつて韓国が西ドイツへ労働者-鉱夫(派独鉱夫)と看護婦(派独看護士)-を派遣していたことは、今回初めて知りました。
また、「一体どこが国際なんや?」と思いつつ釜山でぶらぶらしてきた『国際市場』の成り立ちや朝鮮戦争による離散家族の問題などなど、現在にも連なる諸問題の一端を知ることもできたかと思います。
もちろんそういった事に対する知識・興味が無くても十分に楽しめる良質なエンターテイメントでもありますし、韓国映画には珍しく?日本の「に」の字も出てきませんので、国際的なむにゃむにゃに憤りの方々にもオススメできるかなと。



現在の日本では(韓国でも?)死語と言っても過言ではない『家長の責任』に生涯を捧げる、ノスタルジックな物語。
もうこういう家族の形は成り立たないご時世ではありますが、

確かにボクらの世代は苦労ばかりだ。でも、こう思う。こんな苦労をボクらの子どもたちが味わうのでなくて、本当に良かった。

という言葉は胸に刻んでおきたいと思いました。
まあ、ボクには子どもいませんけども(っ_ _)っ

ある精肉店のはなし

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上の写真は映画関連書籍の表紙より転載しております。

2012年3月。
代々使用してきた屠畜場が、102年の歴史に幕を下ろした。
最後の屠畜を終え、北出精肉店も新たな日々を重ねていく。

いのちを食べて人は生きる。
「生」の本質を見続けてきた家族の記録。

自分が在日韓国人家庭に生まれ育ったから、というのも少しは関係あるのでしょうか。幼い頃から『焼肉』には慣れ親しんでいたような気がします。
今でこそ日本人もロースやカルビ以外の部位をバクバク食べるようになりましたが、昔は『内臓を食べる』なんて、ある種のゲテモノ食いだと日本社会では認識されていたように思います。
まあ、地域差も大きかったとは思いますけどねー。


この映画は初っ端『屠畜』のシーンから始まるある種の『食育』映画でもあり、薄れゆく伝統を守っている職人のドキュメンタリーでもあり、古き良き家族の記録でもあり、部落差別に対する啓発でもあり、
観る人によって様々な捉え方があるものだと感じました。
普段我々が口にしている『お肉』がどのようにしてやって来るのか、またそこに携わっている人たちがどんな生活をしているのか、どのような歴史があるのか、一つ一つをじっくり考える上でよいきっかけになろうかと思います。
たぶん、ちょっと「気持ち悪い」と感じる人もいるでしょうけど、『生き物の命をいただく』ってことはそういうことなんだろねーと心にストンと落ちてくるものがありました。


ボクも一度だけではありますが牛の屠畜現場を見学したことがあり、初めはその衝撃と独特の臭いに圧倒されましたが、牛がだんだんと『肉』になっていくにつれ

・・・旨そうだな・・・

などと思い始め、己の業の深さにはっとさせられたものです。
この映画でも随所に出てくる肉やホルモンの旨そうなこと!
焼き肉シーンでは思わずゴクリとなってしまいます・・・



というわけで、お肉あるいはドキュメンタリーが苦手でない方にはいろいろと得るものがありそうな映画としてお薦めしておこうと思います。