追記
上で散々「感情論は良くない!」といった手前、ちと書きづらいのですが、ここから下はやや感情論かも知れません。
コメントで、他人丼さんが「フランスの動物愛護団体が犬食に抗議をしたのは殺害方法が残酷だからだってのもあるんだよ」と指摘してくださいました。
なるほど。確かにこういう殺し方はマズイ。
と思う反面、でもなー。
という気持ちにもなります。
まず、このように「苦痛を与えない」ことや「残酷でない」ことが前提になってしまうと、永遠に捕鯨はできないことになり、ボクは困ります。
活け造りも白魚の踊り食いも禁止です。
そしてこの手の話は限りない揚げ足取りが可能になってきます。
- フォアグラの作り方は残酷じゃないのか?
- 猿回しが動物虐待なら乗馬も競馬もダメでしょ?。
- 闘牛ってさ、言ってみりゃ「公開なぶり殺し」なんじゃない?
などなど。
したがって、イヌ料理を問題視するフランス人には、
「フランス人がどういった華麗な技でトレビアンな屠殺をしているのかは知らないけど、韓国の屠殺の仕方が悪いのであれば、それを指摘し改善を提案するべきだったのでは?」と言おうと思います。
で。
ここまで書いて思い出したのですが、ボクは以前、屠殺場でウシが解体されていく過程を見たことがあります。
日本の合理化された屠殺場では、「殺し」の部分は非常にスマートで、たぶんこういう風にしろとフランス人は言ってたのかな、なんて思います。
ピストル(みたいなもの)で額をズドン!
これでおしまい。
ボクは銃で撃たれたことはないので、想像するしかありませんが、確かにあれなら苦痛は少ないと思います。
でも。
でもですね。
やっぱり「残酷」なんですよ。
屠殺場に運ばれるとですね、ウシさんたちも何かを感じるのか「モーモー」と悲しそうに鳴くわけです。
普段は従順なウシさんたちが荷台から降りるのを嫌がって踏ん張ったりするんですよ。
ただの感傷であるとは百も承知なんですけど、「ああ、やっぱかわいそうだな」「生き物を食うって残酷だよな」なんて思うのです。
まあ、そういう時に限って晩飯は焼肉だったりするんですけど、
「生き物を殺すのは残酷だ。でも、焼肉は美味い。おかわり!」とか言いながら、「人間のエゴ」対「動物の権利?」みたいなことを考え、もうグダグダになってしまうのです。
改めて考えても、やっぱりボクにはよくわかりません。
「無意味な殺生や、徒に苦痛を与える行為はすべきでない」とは思いますが、それと人間の利益・文化を共存させる。
うーん。むずかしい。
注:ボクはここで敢えて「屠殺」「屠殺場」というを言葉を使いましたが、これは差別表現だという意見もあるそうです。
気分を害した方、申し訳ありません。
ただ、ボクはこういう職業を「人間の根本を支える重要な職業」だと認識しており、職業蔑視するつもりは毛頭ありません。